なんだかこの話題、長くなってきました。今日は火葬とお墓についてです。
ホテルを朝5時半に出発し、夫実家でまたおかゆを食べてから出棺の儀式をしました。
男たちが棺を担いで、女たちはまた白いかぶり物ををして泣きながらついていきます。
小さいわらの束に火をつけた送り火をところどころに置きながら、师傅(儀式のいろいろを教えてくれるおじさん)が先導します。遺影といままで絶やさなかった線香のさしてある鉢も持っていきます。
両親が住んでいたのはマンションなので、表にでるまで結構歩かなくてはなりません。二階から階段を降りる時もうまく回れず一瞬緊張が走りましたが、小雨の降る中なんとか車のところまでたどり着きました。
霊柩車などはなく、ただのバンでしたが、中は一応それらしい感じになっていました。柩を乗せた瞬間、また师傅の潮州語の指示が。
泣いていた女たちが、被っていた頭巾を地面に敷いて、四回地面にひれ伏してお参りです。
そして、何かの木の葉(芽?)のようなものをもらいました。
そして、男たちだけが火葬場へ向かい、女たちは姉婿が線香の鉢をもって先導する中、木の葉をもって帰ります。そのルートは出棺の時と同じではなりません。後戻りしてはいけないのです。
帰宅後、線香を上げ、灰の中に持ち帰った葉を挿します。たぶん、故人が自然に還り、再生することを象徴するのかな・・・見たところそんな感じです。
男組のほうは、火葬場で荼毘に付したのち、お寺に骨壷を納めに行ったそうです。
現代中国では基本的に火葬することになっています。(後日追記:地域によって民族、宗教の慣習が尊重されているようです)その後、どこに収めるかなのですが、とくに先祖代々の墓というものはなく、(土葬時代もお墓は一人ひとつ)基本的にどこに収めてもいいのだそうです。
義父の骨壷は義母の希望でと市郊外のある寺に納めました。毎年夫婦でお参りしていた縁のあるお寺だそうです。夫の話によると、骨壷を納める棚のような場所を買って、そこに収めるのだそう。そして、また義母の希望で、義父の棚の隣に義母用の棚も購入したのだそう。そうすれば後々も隣にいられるとのことで。そうでもしないと、義父の隣は別の人のものになってしまいます。
そこで私は考えました。どこでもいいのなら、自分は(国際線が就航している)空港のある都市にすればいいんだと。そうすれば子供たちが成長して広州以外の土地に住むようになっても便利だし。
自分は遺灰をどこかに撒いてくれればいいと思えるほど達観してないし、今のところ広州の墓地で夫と隣同士でっていうのが希望かな・・・。
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