息子が小学校生活を始めるようになってから、夫に子供時代のことを聞くことが多くなりました。
夫は40代も後半に入ったおじさんです。
以前から子供の頃や、少年時代の話を聞く機会はありましたが、いつも自分の親世代よりももっと上の人から話を聞いているようだ・・・と感じていました。
例えば、子供の頃、子だくさんで食べるものもあまりなくて、よく豆類を食べさせられたので、今あまり食べたくない。とか、
大学進学のとき、広州へ向かうバスの中で同じ学校へ進む同級生の女子学生と話したかったけど、今まで一度も話したことがなくてお互い話しかけられなかった。あのころは皆そうだった。とか、
学校の記念日にはお祝いということで食堂で魚やら肉やらが沢山出て、本当に嬉しかった。とか、
大学の同窓会である男性が、学生時代、校門前での記念撮影にトイレに行ってたかなにかで写れなくて、人生初の写真被写体になるチャンスを棒に振った。田舎の家族に見せたかったのに何故置いてけぼりにしたのか、かなり長い間残念がっていたということがいつも話題になる。とか。
他にもいろいろあります。
小学生くらいはどうしていたか、という話を聞いたところ、
(以下、汚い話なのでお気をつけ下さい)
当時は水洗トイレなどはなく、皆汲み取り式で、しかも大きなバケツのようなものに入れて家の外においておき、農家が肥料とするために回収しにきたとのことで、
夫達は、学校の帰り、そのバケツに爆竹を入れて回ったりしたことがあるそうです。
はぁ〜、大迷惑です。
まあ、あとは台風(夫の出身地はよく台風が上陸します)の後、浸水した家の周りをたらいに乗って漕いだとか。
昔の遊びはシンプルで、オリーブの実を皆でかじって、残った種をげんこつの中に隠し、一斉に開いて一番大きい子が勝ちという遊びをよくやったとか。夏は毎日川で泳いだとか。
そんな微笑ましい話もあります。
息子は学校で今、ピンインを勉強していますが、夫はどうだったのか。
その頃、小学校の先生は国語も含め、皆方言で授業をしていたそうです。
ピンインもやるにはやったけど、多分、先生も出来てなかったのではないだろうか、とのこと。中学校に上がると、さすがに国語の教科書の文章は普通語で読むのだか、解説は方言だったそうです。
ということで、大きくなってから他地域にでない限り、方言だけで過ごす人も少なくない世代のようです。そう考えると、彼の普通語もなまってはいるけどそれでもいい方なのかなと今は思います。
私の小学生時代というのは、思い出と言えば通学路での道草や放課後の遊びのことばかり。
一年から三年まで通った学校は、歩いて30分以上かかって遠かったので、学校から家を結ぶルートは無数にあり、一緒に下校する友達によってルートを変えていました。新しいルートの開拓も好きでした。よく考えればあの頃、自分の方向感覚は養われたような気がします。残りの三分の一は一人で帰らないと行けないので、しっかりしなくちゃといつも思っていました。
あるお宅のフェンスに蔓系の植物が絡まっていて、オレンジの花をつけるのですが、どういうわけか、その蜜が美味しいということ知って、毎日あるだけ取って蜜を吸ってました。私たちが去るときにはフェンスの外に花が散乱。毎日だと沢山取れないことに気づいてから、数日おきに収穫するようにしてました。
あの頃、手に取ってみたいと思ったら、そのものをすぐ手に取ってしまったし、今思うと、いたずらでした。でも、思い出の中には大人が全然出てこないんですよね。実際怒られたこともなかったし。
家に帰る頃には、もう遊び尽くして満足、みたいな。
息子は家からすぐ近くの学校へ行き、大人が送り迎えする環境にいます。
今となってはインドア派な私ですら、子供時代にはあれだけの遊びへの渇望があった訳です。息子の子供らしい欲求は満たされているのだろうか、とふと思うこのごろです。
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