火葬の翌日は告別式でした。
今回の一連の件に関して、義母と息子達の相談の結果、かなり狭い範囲の親戚、知人で地味に執り行ったようです。
まず原因の一つに義両親の住居が引っ越して一年ほどのマンションで近所づきあいもほとんどなかったというのもあるようです。
後日談として夫から聞きましたが、昔は家も一軒家でキャパも大きいため、送る時は賑やかであればあるほどいいような考えもあって、割と広く知らせて、楽隊なども呼んで家の外にはみ出して盛大におこなったそうです。
我々が広州へ戻る時も、郊外で道を長蛇の列を成して歩く葬儀の人達を見ました。先頭にチューバのような金管楽器を吹く人や、末尾に太鼓や銅鑼を叩く人などがいて賑やかでした。どこの家に向かうのか判断不能な場所を歩いていたので、ここで葬儀を行いますよと周辺の人に知らせるために練り歩いているのかなと思いました。
こんなことも周りが顔見知りだから意味のあることなのでしょう。
知らない物同士が住む住宅地だと違和感があるかも知れません。
そんなわけで告別式も、郊外にある斎場で行いました。
先ずは親族だけで会場の準備です。祭壇や花輪(妻、子供、家庭のある孫が出す)の他にも色々な言葉が書いてある畳一畳ほどの旗が会場の外に出ていました。うちの両親の名前もあったので、香典をだすとこの旗に名が出る(名を紙に書いてそれを旗につける)ようです。写真がないので思い出せないのですが、「山川合流」とか、人生を象徴するような言葉が旗の一枚一枚に書かれていました。
あとは、参列者にだすお茶、黒砂糖をとかしたお湯、飴なども会場の外側にセッティングします。
その後、親族だけでお坊さんを呼んでお経を上げていただきます。
お経も銅鑼や、揚琴、鐘などの伴奏がついて賑やかです。
また、お経も潮州語でした。たしかにお経の字を潮州語読みすればいいだけなのですが、日本では方言のお経って多分ないですよね・・・。
お経を上げる中、紙製のあの世で使うお金や洋服などを女が外で燃やします。
これが終わった後、親戚知人が来て、故人をしのびます。
弔問者は外で受付の後、案内係がついて一人ずつ祭壇まで通されます。その際に楽隊がジャンジャン音を鳴らします。
その後、マイクで「一礼~、二礼~、三礼~。」と案内されるので、その通りに三礼し、遺族に会釈して去ります。
参列者が集まり、喪主の挨拶があって、とかそういう段取りはありませんでした。
一人ずつ来て、一人ずつ去る、あっけないものでした。
帰りは、前回の記事
(こちらをクリック)にある通り、お返しセットを持って帰ります。
告別式が終わると、大方のことが終わったも同然。
夫もこの数日テンパって、いつも難しい顔をしていましたが、やっとすこし笑顔がのぞくように。
ちょっとホッとしました。
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