翌朝は7時に子供達とホテルをでて、実家に向かいました。
実家にはすでに子供、孫が集まっていて、おかゆを食べています。
とにかく食べておけという感じで、立ちながら食べてるひとも。そもそも椅子もそんなにありませんし。
子供達は焼香を済ませると、ホテルで待機するため夫の同級生と出て行きました。
息子には「おじいちゃんをもうひとつの世界に送るためにママ達はこれからいそがしいから、おじちゃんとホテルで待っててね。妹がママを探したら、『大丈夫だよ』って遊んであげてね。ママもお昼前にはホテルにお迎えに行くから、お願いね。」と言い含めました。
ただごとでない雰囲気は理解できたのか、しっかりとうなずいてた息子。
娘は家を出る時振り返り、私が一緒でないことに抵抗しようとしましたが、パパが送っていくことで気が紛れた模様。ちょっと心配だけど、ダメなときはダメな時。ホテルも車で10分ほどの距離だし、その時に考えましょう。
さて、この日は義父の死を悼み、遺体を納棺するという儀式を行う日でした。
と、今となっては書けますが、関係者がわーわーと潮州語で何かを言い合っているだけで、その時の私はちんぷんかんぷんです。具体的な指示は葬儀屋さんというか、「师傅(専門知識のある人に対する敬称。結構幅広く使います。)」と皆に呼ばれるおじさんが行います。多分、日本のそういう人と違うのは、声がやたら大きくて、指示も命令口調っぽいところでしょうか。
ともかく、役割的に私は「息子の嫁」系列なので、兄嫁たちのマネをしていればよろしいとのこと。行列でも二番目の兄嫁の後ろについて同じ事をしていれば間違いありません。
まず、参列者全員が白いワイシャツに黒の腕章をします。その下は白以外の洋服であれば特に何色でも良かったです。特に義父の場合は80歳を超えていたので、「喜葬」と言われ、特に黒の服でなくてもいいとのこと。
息子、直系の男の孫最年長者、娘婿(以下、男達)が義父の上にのせてあった草で編んだ三角帽をかぶり、白の帯を腰に締めます。それから、息子の嫁、娘たち(以下、女達)は白い大きな頭巾をかぶります。
一度皆で外に出て、少し家から離れた所に並びます。男達、孫の順に並び、女達はマンションの1階入り口の外で控えてます。皆でぞろぞろと家に向かいます。
そこで师傅の指示が飛びます!突然、お義姉さん達が敷いてあったゴザの上でひれ伏して、
「あ~べ~ お~い。あ~べ~ お~い。」と泣き始めました。
とにかくマネしなくてはならないので、ひれ伏しながら、「あ~べ~ お~い。」って何だろうなどと考えてしまいました。皆が通り過ぎたら女達もその後に続きます。続きながら、自分は「お父さんやーい」と言っているのだと思い当たりました。
家に入った後は、納棺です。儀式的には子供達がお水をお義父さんに飲ませ、ご飯を食べさせ棺に納めるという手順ですが、やはりあの世へ送る第一歩の象徴的な動作であるので、家族の悲しみが一気に噴き出して、心が痛みました。
身近な人達が悲しみに打ちひしがれている姿を見るのはつらいです。
中国の棺がみなそうかは分かりませんが、日本のように窓がついているわけでもなく、その蓋が閉じられたら二度と故人の姿を見ることは出来ません。釘は打たずに縄で縛っておしまいです。
翌日は火葬(中国語では火化)の日です。
午後は特に執り行うこともないので、私は一足先に子供を迎えにホテルに戻りました。
息子が一生懸命遊んであげたので、娘も楽しく過ごしていたようです。息子のいじらしい頑張りにも涙が出そうになりました。
夫は実家で忙しいので、我々はそのへんで適当にご飯を食べ、そのへんを子供達とぶらぶらしながら過ごしました。
夜はまた皆で集まって、食事です。
といっても30人近い人間が一度に取るので、できたものからわーっと食べ、終わったら交代で次の料理を作り、がやがや、わさわさ。炊き出しですね。ご飯をよそった茶碗におかずを取って食べても、終われば膨大な洗い物。それも女達が黙々と片づけて、終わったら解散。
この5日間、朝昼晩とこんな食事でした。
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