先日風邪をひいたときに久々にマスクをしたのですが、マスクの入った引き出しをごそごそしていたらこんな物が出てきました。
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いやいや、これもマスクなんですけど。N95といわれるいかつい立体型マスク。
2003年にSARSという肺炎が流行りまして、その時に当時の勤め先の日本本社が(香港会社経由で)送ってきてくれたものです。確か一人10枚配布だったような。
もう10年近く経ったんですね。マスクとしてはもう品質期限切れでしょうね。
たしか旧正月明けてしばらくしたある日のこと、「発症すると数日で死に至る伝染病がある」という噂が立ちました。当初は何の事か分からず、「ペストじゃないか」などとも言われてました。
まわりの中国人同僚は急にそわそわし始めて、方々に電話を掛け始めました。
「え、今、中山付属第三病院(患者が収容されていた)?行っちゃだめだよ!」とか、堂々とした私用電話ぶり。家族の安全を考えたら勤務中だなんてそんな事言ってられない、そんな感じでした。
「板蓝根という漢方薬が予防に効く」
「酢で部屋を燻蒸すると予防できる」
などという噂もあり、買いに行ってみると、普段一袋10元の薬、数元の酢が何倍の値段になっていました。ニュースを見るともっとひどいところでは酢が一本100元だとか、皆が店に押し寄せて酢を買いあさる映像が出たりしてました。
これらの物が本当にこの病気に効くとは思わないけど、もし、効くとしたら。
この国ではお金がなければ生き残れないのかと背筋が凍る思いでした。
そんな中、「この病気はSARSという肺炎で、目下流行はコントロールされた」との発表があり、ヒステリックな状況は一時収束したのでした。
この間、3日間くらいじゃないかと記憶しています。(昔の記憶だからあまり当てになりませんがね)早かった印象が残ってます。
実は流行は沈静化したどころではなく、拡大を続け、香港に飛び火したのですが、今思うと、あの時「大丈夫です」と言ってくれなかったら買い占めから暴動などが起こっていたかもしれません。そのくらい不安が極限に達していました。
香港で流行が確認されてから、実は広東でもということになり、それからは毎日「感染疑い者数」と「死者数」が増えて行くのを見守る日々でした。
でも、自分の周りに感染者が出る訳でもなく、香港からマスクなども届いたものの、社内はいたって通常通り。だれもマスクなどしちゃいません。さすがに出社後、お茶室の手洗いに手を洗う人の列が出来たりしたくらい。隣の会社から時々酢で燻蒸する匂いが伝わってくることがって、ある社員が「dayco.さん、うちの会社もやりませんか?」と真面目な顔で一度提案してきましたが、それもうやむやになってしまいました。当時は酢なんかで殺菌が出来るかと懐疑的でしたが、今思えば、それで気が済むならやってあげたらよかったです。
ただ、人ごみは避けて生活してました。家と会社を徒歩で往復。外食もせずに自炊の日々。昔はあまり料理が出来なかったし、今ほどパソコンを見ればいろんなレシピが入手できるという時代でもなかったので、日本の友人から料理本などを送ってもらいました。あれはありがたかった。
一度だけ、同オフィスビルの43階の会社から「感染疑い者」が出たときは、ちょうど同じエレベーターを使っていたため、社内に緊張が走りました。社長が「マスク着用令」を出して、確かその時例のN95マスクを二つくらい消費しました。でも、疑いからシロとなった途端、「着用令」は立ち消えてました。
外の世界では毎日感染者が増えて、この病気と闘っている人たちがいた訳ですが、その他の人たちは割と淡々と日々を過ごしていたと思います。感染は怖かったけど、上司が損保の人から、「人口から死亡率を計算すると、保険料算出で想定している火災発生の確率より低い」という話を聞いてきてから、滅多に起こり得ない事っていう気になり、より気楽になりました。
ただ、日本にいる家族には相当心配かけました。5月の連休に免許の更新があったので日本に一時帰国しようとしていたのですが、流行地域からの渡航者は一週間の自宅待機という処置が取られることになり、結果更新不可能なので帰るのをやめたのですが、母に「戻ってくるのはいいが、また中国に行くのを見送りたくないので、帰ってこないでほしい」と言われました。
私などは会社の命令で広州にいる訳でもなく、自分が居たくて勝手に広州の会社に就職したわけなので、家族としてはなんでそんな所に行ってしまったのだという思いだったのだと思います。かといって、当地ではそこまで事態は深刻でもないし、それこそ「SARSだから会社やめて日本に帰ります」ってのも「?」な話な訳で、その辺のギャップ、家族にどうやって理解してもらおうかと悩みました。結局「大丈夫だから」としか言えなかったですが。
言葉というのは全然雄弁じゃなくて、お互いを心配する気持ちというのは当人の半分も相手に伝わっていないものかもしれません。また心配かけまいとして強がったりもしますし、そうなると余計です。
事態がほぼ収束した夏、一時帰国して再会した母は未だかつて無いほどやせてしまっていて、それを見た時どれだけ母に心配をかけたのかを初めて知りました。
これを思い出すと今でも胸が痛みます。
いくら私の夫の事を母が頼もしく思ってくれているとしても、遠くに娘をやるというのはやはり心配なのではないか、でもそれを口にはしないだけではないかなどと今も思う事があります。
何の因果かこんな所で暮らしてますが、やはり日々心身共に健やかに楽しく生きなきゃ親に申し訳ないとふと思ったりします。
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